居合道とは

 居合道は今から450余年以前の室町時代末期から今に伝わる、日本刀(真剣)を以て行う武道の一種であり、敵の不意の襲撃に際し一瞬の動作(鞘放れ)で敵を制すると云う技であるが、古来「剣の道は人を殺すことではなく、人を活かすものでなければならない」とされ、昔からその技術の錬磨と共に精神の修養が第一義とされてきた。
 その修業の究極は人格の養成であり、和の追及であると教えられている。それが現代社会に於いてもなお、居合道の深奥を求め修行に励む者の絶えぬ所以であろうと考えられる。
 16世紀後半、織田信長、豊臣秀吉といった強力な指導者達は、天皇家を押さえ自らが国家統治を試みる様になる。また鉄砲の伝来を始め、刀剣など武器類の研究も進み、戦術、戦略も従来とは大いに変化していったのである。
 腰に吊り下げていた所謂太刀(たち)が、帯に差す刀(かたな)に変わって行くころ、1532年奥州に生まれた林崎甚助源重信は居合術と云う新たな刀法を創案し、従来の刀を抜き合わせる戦いではなく、抜刀の一瞬に敵に抜き付け、之れを制すると云う刀法(居合)で世間を驚かせた。武士達は競って此の技を採り入れ、稽古に励む様になり、各地の武家の頭領達も大いに居合の稽古を奨励したのである。
 居合は「鞘の中」と教えられる所以は実はそこにあるのであって、人と争って勝つことを「絶対勝利」と考えるよりは、技と心の修行による武徳(即ち自己を厳しく律し、正義の為に身を惜しまぬ勇気と、人を愛し信義を重んじ礼節を尊ぶといった人間としての道徳観念)を身につけ、戦わずして人を制し、絶対の勝を修めることを究極の目的とするのです。
 この様な日本人の道徳律と云った(近年ややもすれば失われようとしている)ものは、厳しい武道の修行と「儒教」や「朱子学」の教えとに相俟って「武士道」という概念で、支配階級から下層階級まで質実剛健で礼儀正しい風土を育んできたのである。
 「正・速・強・威」と云う居合道修養の眼目に従って心身を錬磨し、優れた人間形成を目指すことが居合道修行の第一義である。

無双直傳英信流  英信館々長  清水 寿浩